翻訳と通訳の距離−距離から見る 翻訳と通訳のいまここ・これから

 

 

この記事は、連載・翻訳と通訳の距離 のコラムからの抜粋です。

詳しくは「Web 版 The Professional Translator」をご覧ください。

距離から見る 翻訳と通訳のいまここ・これから

松江 万里子(バベル翻訳専門職大学院生)

コロナ禍以前なら、通訳業務に「距離」という要素の入って来る余地は殆どなかった、というのが、現在改めて思われることです。

私の場合は、欧州大陸という英語を公用語としない場所に於いて、新興のニュートラルなリンガ・フランカとしての英語を用いる機会に喚ばれて来ておりました。英語圏で訓練を受け、活動をされている他の通訳者の方々に比べると、ブリュッセル在住という「地の利」でお仕事をいただいていたというところが多大にあると思います。

前号で岡崎詩織さんが「地理的な場所がそれほど重要でなくなると、通訳者は、これまで以上に世界中の同業者と競争することになります」と看破なさっているとおり、リモートワークが普及することで遠隔通訳が常態化すると、上に述べた私の利点は消滅してしまいます。実際、エージェントから打診を受けたものの受注に至らない、という恐ろしいことも発生し始まりました。EUは欧州単一市場で競争力を上げる、というのを至上命題にしていますが、通訳者はコロナ禍によって、全世界単一市場に放り込まれてしまった、と言えるかも知れません。

翻訳業務の場合はどうでしょう?
再び岡崎さんのお言葉を拝借すると「翻訳者の方々は以前から、地理的制限のない市場で活躍され」て来られていたわけです。

ということはもしかすると、「距離」については、敢えてわざわざ考慮に入れないという意味に於いて、翻訳者も通訳者とあまり違わない地平に立って来ていたのかも知れません。

ソーシャル・ディスタンシングという「距離」が立ち現れて来たことにより、通訳者はコロナ禍以前のような業態にはまず戻れないことが、非常に分かり易く示されてしまいました。

そして一方、翻訳についても、田所美穂さんが指摘されているように「字幕翻訳、動画翻訳は(…)、画像を聞き取る作業も伴うためリスニング力も必要不可欠でしょう。(…)これらの翻訳は通訳者に求められる技術も必要である」という、業態の抜本的な変化、多様化への対応が求められる時代へと急速に移行していくと思われます。

こうした変化や多様性の深化について、まさにデジタルやAIの独壇場と煽る向きもあるようですが、前回の拙稿で述べましたように、少なくともYouTubeでの自動文字起こし(日英とも)を見る限りにおいては、まだまだ人智に勝るものではないようです。

むしろ、翻訳者通訳者が営々と涵養して来た技能という人智こそ、進化する技術を実用に落とし込んで行く過程にあって、最も求められるものなのではないかと思います。技術には、技能の発揚を阻まないように精錬していただき、人間工学的にやさしい環境作りに邁進いただければ、進化も進歩も良い感じで加速することでしょう。

【プロフィール】
松江万里子
バベル翻訳専門職大学院・法律翻訳専攻在籍中。1998年にベルギーへ移転。ルーヴェン大学日本学科専任講師を経てフリーランス通訳・翻訳、メディアコーディネーターとなり現在に至る。ブリュッセル在住。www.japanative.com