翻訳と通訳の距離

  

  

この記事は、連載・翻訳と通訳の距離 のコラムからの抜粋です。

詳しくは「Web 版 The Professional Translator」をご覧ください。

翻訳と通訳の間にあるのは《距離》?

松江 万里子(バベル翻訳専門職大学院生)

概ね9:1で通訳業に従事している自分にとって、翻訳と通訳の間に《距離》を意識したことはほとんどない。《出力方法と圧の違い》なら、意識している気がする。「圧」とは、時間的制約や、人前に立つ仕事であることからもたらされる感覚などを指す。主に後者の理由で、通訳者とは詰まるところドサ回りのピン芸人であり、座持ちを良くすること、お客さんに少しでも有意義であったと思っていただくことが至上課題であるあたり、相通ずるもの少なからずでは、と思っている。

欧州「大陸」に於いて、英語を公用語としている国はない。

英国人はブレクジット以前から、「先週はヨーロッパに行ってたんだ」とかいう表現を、何の衒いも躊躇いもなく使っていた。そこを突っ込むと、「いやあ悪気はなくて、”大陸”ってのと同義語で言っちゃってるだけだから」と返して来るのではあるが、だったら大陸って言えよという話である。使う言葉がその人を作る。彼らは、ヨーロッパに含まれないという自意識を持っている。それはもしかしたら、日本とアジアの関係と相似なのかも知れない。

ブレクジットの結果(コロナ禍でそれどころじゃなくなっているのでみんな失念しているが、本件は実は現在進行形であり厳密には「結果」ではないものの)、EU加盟27カ国のうち、英語を公用語にしているのはアイルランドとマルタだけである。(*1)

欧州大陸ではフランス語が17~19世紀には外交官用語とされ、(*2)所謂「リンガ・フランカ」(*3)は、長らく「フランス語」と同義語扱いであったし、現在も欧州委員会関連のドラフト類は、取り敢えずフランス語でリリースされることが多いので、ブリュッセルでEU関連の仕事をゲットしたければフランス語はほぼ必須とされる。

しかしながら、2004年と2007年に、主に旧東欧諸国を取り込む形で実現してきたEUの拡張政策によって、外交官用語としてのフランス語の地位は相対的に低下、代わりに英語が台頭して来ることになった。

旧東欧諸国間のリンガ・フランカはロシア語だったので、ソ連邦崩壊以降の世界情勢に鑑みれば置き換わるのは英語というのが必須の流れではあった。旧東欧出身のテクノクラートたちは(恐らく)ほぼ自学自習で英語を習得していたし、EU政策決定の中枢に食い込む、という「更に上を目指す」人々は、自己投資としてフランス語習得にも金と時間を注ぎ込んだ。

「欧州大陸では英語を公用語とする国はない」という事実があるゆえに、「誰にとってもほぼ公平に外国語である」ことになり、ニュートラルな道具としての英語がその存在意義を急速に高めていくことになったと拝察する。

ブリュッセルの公用語は、フランス語とオランダ語である。ベルギーの法律で、ブリュッセル首都地域のみは「蘭仏両語併用」と定められていて、地下鉄の駅名や通りの名前などは2ヶ国語表記であるし、公務員や公共サービス提供者は蘭仏バイリンガルでなければならない「はず」である。しかし実態は、体感として95%超がフランス語話者ではないだろうか。

そしてフランス語話者は、オランダ語が不得手な人が多い。リンガ・フランカがフランス語ではなくなって来た昨今、已むを得ず英語で何とかしますから、オランダ語は勘弁してくださいというブリュッセル人は思いの外たくさん居る。

在ブリュッセル英語母語話者は、基本的にフランス語が出来る人が多い印象があるが、たとえ英語しか話せなくても、いや、むしろ英語話者であるからこそ、上記のような背景があるため、ブリュッセルで生活する分にはほとんど困らないらしい。困るのは各種手続きの類だというが、それはベルギー人にとっても同じことで使用言語のせいではない。

彼らはブリュッセルのEU関連国際機関などでしばらく働いた結果、母語の英語が変質したと言う。「実家に帰省したら、”アンタ何しゃべってんの、変な風に訛っちゃって!”と、親族旧友一同から集中砲火を浴びた」のだと。

「だって、普通に話してて通じないことが結構あってさ。通じるのと通じないのとの差がどこにあるのか訳分からないし、見極めが面倒くさいから効率重視で周りに合わせたらこうなっちゃった感じ。英語話者の間では”ブリュッセル・アクセント”って呼んでる」

ブリュッセルで日英通訳者であるということは、こういう英語と、大陸の反対側にある別の島国の言語の間を取り持つ役割を任されているということだ。どちらも、欧州大陸の公用語ではない。こんなんで良くも生活が成り立っていたもんだなあと、コロナ禍下で業務激減の中、改めて思われたりもする。

「使用言語の異なる両者間の意思疎通を、その局面でどうにかする」作業を通訳であると措定すると、欧州大陸に於ける英語話者は、”ブリュッセル・アクセント”になる程度に、日常的に通訳をしているとも言えるのではないだろうか。英語話者当人には、そのことは意識されていない。恐らく、若干の翻案を行っている、という自覚があるかないか、というところだろう。

一方、翻訳という作業は、上記の「若干の翻案」をこそ厳密に掘り下げ、研ぎ澄ましたものを創出すること、と措定出来る。翻案の磨き上げ作業そのものを指している。翻案が湧いて来た理由や淵源についても考慮に入れるのは、むしろ必須であるし、それが翻訳の要請する「圧」でもあると思う。

ということは、少なくとも私にとっては、「翻訳と翻案の距離とは」という問いが立って来ることになる。

翻訳を専業にされている方々は、どのように感じておられるのだろうか。

【プロフィール】
松江万里子
バベル翻訳専門職大学院・法律翻訳専攻在籍中。1998年にベルギーへ移転。ルーヴェン大学日本学科専任講師を経てフリーランス通訳・翻訳、メディアコーディネーターとなり現在に至る。ブリュッセル在住。