翻訳の国・日本 – 改めて翻訳とは何かを考える

バベル翻訳専門職大学院 学長  湯浅美代子

皆様、お元気でお過ごしのことと存じます。

時々刻々と変貌する世界に、日々思いを新たにする体験を重ねておいでのことと思います。

本当にこのような時代を生きること、このような激動の時を体験するということは、素晴らしいチャンス、天与の賜物だと実感する毎日です。

と言いますのも、先月73歳の誕生日を迎えて思考の練度が高まったせいか、日頃の問いの視点が同時多発的になり、問とその回答が更なる問を深めていくので、正に問答、自分自身の一人問答がますます多くなってきました。

そう言えば、日本には斎藤一人=「ひとり」という名の著名なビジネス成功者がいますが、この方のお名前が何故一人「ひとり」にされたのかが解ります。一人とはある種、完成形の意味を表現しているのですね。

ところで、私の趣味は【考えること】だとも言えますが、一つの問に同時多発的解答が浮かぶのは、なかなか面白いものです。

最近は物忘れがひどくなり、脳の血の巡りが悪くなり、認知症ではないか?とさえ思えるのですが、日常の生活レベルの短期記憶はどんどん忘れていく一方、脳の活動だとは思えない、直感=インスピレーション感覚が活発になってきたように感じます。

しかし、日常の活動は、習慣や記憶に依存するシステムになっていますからいろいろ困ったことが起きるのです。

一番面倒なことになるのが、パスワードの記憶です。

最近はいろいろなネットシステムを使いますから、必ず、それぞれに対応したアカウントとパスワードが必要になるので、それらの記憶がすぐに出なくなってしまい、ネット配信、購読している電子ブックやメールマガジンを読めなくなったりしています。

ネットシステムにおける、アカウントとパスワードの管理は本当に面倒ですね!

とはいえ、アフターコロナの時代はますますシステム化が進みますし、さらには新たなテクノロジーが登場していくでしょうから、これからの電子情報のセキュリティマネジメントは、もっと便利なシステムになっていくのでしょう。

というか、是非そうなっていただきたいと思います。

今回の世界的なコロナパンデミックにより、会社への通勤が停止されたり、『密集』『密閉』『密接』という三密が禁じられて、ソーシャルディスタンスとして2メーター近い空間を置いて座ったり、会話もマスク越しで行うなど、大変化の体験となりましたが、これも、新時代の新システムへの移行のプロセスとなっているのですね。

友人知人とも距離を置く体験は、私たちの意識活動へ大きな変化をもたらしたように思います。

それは、日本人にありがちな周りとの同調への距離感として表れていると思いますが、これ自体はとても良い体験ではないかと思います。

私は、他人と違うことは普通だし、そもそも違うことが当然だと思いますが、これまでの日本の社会は、どちらかと言えば仲間との関係を気にするあまり、自己の特徴ある個性を抑えてしまっていることが多いように思えます。

他者と違うことが悪いことのように思われてきた風潮があり、それが、無言の圧力となり、違うことを恐れて個性を殺してしまってきたことが多かったのではないでしょうか?

また、別件ですが、医療制度、保険制度というシステムがあることで、具合が悪ければすぐ薬に頼る、医者に依存してしまう、というように、自力で困難に立ち向かうことがおろそかにされ、自己の創意工夫で対応するのではなく、何でもお金で解決することも大きな風潮となっています。

いろいろなことがお金に変換され、すべてが金銭の多寡に帰結するような仕組みとなっているのです。ワクチンの開発もある意味ではビジネスの創出であり、開発者はビッグビジネスのシステムに依存しています。

このような風潮の中にあって、今回のコロナパンデミックの体験は、他者に依存せず、自分の治癒力、つまり免疫力という自力パワーに目覚めることが大事だと教えられたということです。

今回の世界規模の事件は、現代人類の精神性の弱み、脆弱性をあぶりだしてくれたとも言えます。

そして、これらの体験は、現代人の思考システム、つまり、情報処理の方法としての『翻訳』の問題である、ということをも教えてくれています。

「世界をどう解釈し、どのように対応するのか、それが問題だ!」と言う訳です。

例えば、今回のパンデミック現象を観察すれば、感染しても発病しない人いれば、重篤になり死亡する人もいます。

これは、何を意味しているのでしょうか?それは、病原体に原因があるのではなく、人体側に原因がある、ということを示しているのです

つまり、免疫力が強ければ軽い風邪で済みますが、ネガティブ思考による自己への不信、不安の状態であれば重篤な肺炎を引き起こし、死亡したりするのです。

免疫力』については安保先生の研究成果として素晴らしいご指摘がありますが、『物事、事象を認識する時、楽観的に捉えて、自分に対する信頼感、自己満足感を持つ人は強いパワーを発揮するそうです』ね。

このように、世界をどう見ているか、つまり、「自分が体験する現実とは、起きている現象を自分がどう解釈し、翻訳理解したか、ということなのです。

翻訳は、何もビジネスコミュニケーションの対象であるだけでなく、人間が外界と内在という仕組みの中でのコミュニケション、つまり、生きて生命活動をしていくこと全体であり、生命活動それ自体が翻訳による認識作用、判断作用に基づく意思決定行動そのものなのです。

つまり、人生を生きるということは翻訳活動そのものである、ともいえるのです。

自分自身が世界をどうとらえたか、それは、自分の翻訳作業の結果であり、自分がどう翻訳したか、と言うことなのです。

身の回りに起きている現象をどう感じるのか?

それは実に【翻訳】なのです。

人はみな考え方、感じ方、理解、表現の仕方が違います。

人それぞれの価値観があるからです。

自分が自分の考えとして作り上げてきた価値観、思考パターンといえるもの、つまりそれが【自己の価値判断の翻訳文法】なのですね。

この【自己の価値判断の翻訳文法】とは、文字通り、自分の価値判断の基準を知っているか?ということです。

私たち人間には、五感つまり、眼、耳、鼻、舌、身という五つのセンサーがありますが、この五つの感覚器官によって得られた情報を第六感、意識(≒思考)という情報処理と記憶のシステムで価値判断を行い行動の意思決定をしていると言えます。

さらに言えばほとんどが過去の情報処理の体験結果である【データベース=記憶】により価値判断を行っています。 

以前の号にも書きましたが、お気付きのように、AI=人工知能に似ているのですね。

実は、人間が人工知能に似ているのではなく、人間の思考システムを解析研究し、人間の思考システムに似せて、AI=人工知能を開発した、と言う訳です。

そして、その価値判断の基準が、自分が体験によって蓄積してきた【価値判断の基準=翻訳文法】であると言えるのです。

私たちは、生まれてこの方、様々な体験をしてきました。

体験の度にその考え方がうまくいったか、失敗したかを判断、記憶し、それを【価値判断の基準=翻訳文法】として処理を行っています。

新たな体験に直面した時、過去の体験と比較分析、思考しますが、それは翻訳のプロセスでもあります。つまり、原因と結果の関係は、原因情報を記憶している【価値判断基準=翻訳文法】に照らし合わせて、どう意味づけ、どう価値づけしたかであり、つまり、それらを自分がどう【解釈=価値基準という翻訳文法に照らし合わせて判断】し、翻訳表現したのか?ということになるのです。

身の回りに起きている現象をどう感じるのか?それは【翻訳】なのです。

人は皆考え方、感じ方、理解、表現の仕方が違います。

人それぞれの価値観があるからです。自分が自分の考えとして作り上げてきた価値観思考パターンといえるもの、それが【自己の価値判断の翻訳文法】です。

今回のこのような状況下にあっても、自営、独立して「翻訳業」に従事されておいでの皆さんは、今回のような会社依存からの不安に陥ることなく、日々精力的に翻訳作業に邁進されておいでではないでしょうか‼

会社依存のビジネス形式から、自己の自立を実現する個人ビジネスの形式が、この武漢熱騒動によって見直されてくるのではないかと思います。

このように、【自己の価値判断の翻訳文法】を深めておけば、今後の世界の変化にも冷静に対応できるでしょう。

外の環境を変えるより、自己の価値観、つまり【自己の価値判断の翻訳文法】を見つめ、自分に有利に変化させていけば対応が容易になります。

翻訳業は個人でも事業を行うことができ、インターネットとPCがあれば、世界中の企業を取引相手とすることができます。

しかも、自分自身が世界のどこにいても開業することが可能であり、その受託する言語の種類や、翻訳の専門分野の種類も益々広範囲になっています。翻訳ビジネスだからと言って、単に翻訳会社に登録しておいて、依頼された仕事をこなすだけというビジネス形式だけではなく、リサーチした翻訳情報を多数の顧客に提供することや、世界のユーチューブなどのように、多言語の動画配信や出版物を他の多様な言語に翻訳して提供する、などということが可能になっています。

ユーチューブの翻訳ではAIの翻訳や読み上げがよく出てきますが、翻訳水準は低レベルです。

これが、高い翻訳品質の翻訳文章であれば、正確、的確な情報の伝達になりますし、個人が必要に応じて自分が知りたいことについての翻訳の提供サービスも可能であり、必要になっている、と思います。

但し、その時の翻訳収入との兼ね合いということが課題ですが。

経済的進展や、科学技術の進展に偏ることなく、自然の豊かさの中で生命は誕生し、その生命を豊かにすることや、【生命とは何か?】という【根源的な問い】を、今一度考えていくことが必要だ、と感じた次第です。

そして、生命の営みはまさに翻訳であり、【世界は翻訳である!】と言う気づきを再確認することになったのです。

コロナウィルスの出現によって、自分自身を知ることができるのなら、素晴らしい体験ですね。

あのソクラテスは、自分自身を知るためにいろんな人に問答を仕掛けて嫌がられ、ついには裁判で死刑を宣告され、毒杯を仰いで死にました。

当時の著名人や貴族にとって、ソクラテスはコロナウィルスのようなものですが、ソクラテスにその行動を導いたアポロン神殿にはこう書かれています。【汝自身を知れ】と。

私たち人間は、自分自身を知る、つまり、真の自分と出会うことのために、生まれてくるのです。

実は、前号の記事を読まれて、安保先生のお弟子さんでもある、本学のMSTホルダーのWさんから「安保先生は、狙われたのではなく、研究活動や講演、後進の指導などご多忙のために体調を崩されてお亡くなりになりました。」とのご連絡をいただきました。

これで、私の心配も杞憂となり良かったです。

安保先生の免疫研究は、実に素晴らしい研究成果であり、免疫学の確立に大いに寄与されたことは、人類への素晴らしい恩恵をいただいたと思います。

世界をどう翻訳するか?それがあなたの問題なのです!

最後までお読みいただき、有難うございました。