【特別特集】反人種差別、暴動に想う~人種差別をどう考える

命の尊厳、人権、そして、自分の心

佐々木 理恵子(バベル翻訳大学院修了生)

「Letters for Black Lives 」プロジェクト - これは、2016年にアメリカとカナダで暮らすアジア系の若者たちが主体となり立ち上げた、反人種差別プロジェクトです。このプロジェクトは、若者が自分の家族や身近な人たちに向けて書いた一通の英語の手紙から始まったそうです。その手紙は、黒人差別や黒人に対する警察の暴力について、率直に話しあうきっかけを作りたいという思いから書かれ、これまでに驚くほどの数の多言語に翻訳されています。

この中にもあります「Black Lives Matter 」という言葉は、すでに日本でも浸透しているかと思います。特に「Matter」は、シンプルですが、訳すとなると難しい言葉ですね。この言葉をどう訳すかは、翻訳者の力量(人生経験、価値観、問題把握力、そして翻訳技術)が試されるところです。上記の「Letters for Black Lives 」プロジェクトのサイトには、このような記載があります。


Black Lives Matter(ブラック・ライヴズ・マター)は直訳すれば「黒人の命は大切だ」に近い言葉です。2020年版の日本語訳を準備するにあたって、「黒人の命を尊重しろ」という強い表現を採用した理由は次のとおりです。

 1) 白人至上主義(白人が誰よりも優れていて、最も大切にされるべきという考え方と、それにもとづいた社会の仕組み)を完全になくし、黒人コミュニティーに対する国と警察などからの暴力に立ち向かうための自治体レベルのネットワークをつくる」 という Black Lives Matter 運動の目的を正確に表すこと。

2) 黒人の人たちの命に関わることなので、そのような目的を今すぐにでも達成することの必要性を表すこと。

3) 運動の中ににじみ出る、いろいろな感情のニュアンスをより正確に表すこと。


そもそも翻訳には唯一無二の正解など存在しません。産業翻訳、出版翻訳、映像翻訳、その他、それぞれに、いろいろ趣や考慮事項は異なりますが、いずれにしても、非常に多くの、多様なファクターを見つめながら、その時々、適切であろうと判断する言葉を何とかして紡ぎ出していかなくてはなりません。このプロジェクトの翻訳者の方々も、人種差別の問題と誠に深く向き合いながら、真摯に熟慮された上での翻訳であることが伺え、またこのようなご活動に参加されておられることに、心からの敬意を表さずにはいられません。

さて、ここで、TPT読者の皆様に一つの提案なのですが、皆様も考えてみませんか。ですが、翻訳者として考えるというより、あえて、「翻訳」という言語変換そのものから少し離れて、考えてみませんか。人種差別という問題に接する時、日本に住む日本人の国民性や状況を鑑みた上で、日本の方々により深く見つめてもらおうとする時、そのスローガンとして、読者の皆様であれば、Black Lives Matter という言葉の真意を伝えるに、どのような日本語が頭に浮かびますでしょうか。

「〇〇しろ」「〇〇せよ」という表現は、行動を制限する規制言葉となります。しかし、何らかの問題に向き合う時、そこに長期的な変容を望む時、行動規制のみでは、すべての人の思考や感情や行動を変えるのは難しいこともあります。一人ひとりが個人レベルで深く自問自答し、その結果として、社会が望ましい方向に歩んでいくには、皆さんであれば、「翻訳」という言語変換の枠を超えて、どのようなスローガンが頭に浮かぶでしょうか。

今年2020年は、世界人権宣言が採択されて72年目の年となります。世界人権宣言の第1条が、次の通りです。

「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」

歴史を遡れば、人類はその進化や発展の中で、様々な侵略や戦争や争いを繰り返してきました。どんな理由があろうとも日本も然りです。しかし、元をたどれば、私たち人類の祖先はアフリカ大陸の広大な大地にあります。そのことを思うとき、まさに、世界の人々は「皆が同胞である」と言えるのではないでしょうか。

世界人権宣言の意義等については、このような法務省人権擁護局企画のパンフレットもあります。

軽く目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をしながら、心を鎮めて、皆様ご自身のことや周りの方々で「差別」と感じてきたことなどを冷静に捉えてみると、いったい何が見えてくるでしょうか。ご自身なりの「スローガン」を、常に、お心のどこかに置いておかれると、これまでとはまた少し違った歩みが見えてくるかもしれませんね。

読者の皆様が、平和の心で、それぞれの人生を、健やかに、享受できますように。

【プロフィール】
佐々木 理恵子
日本企業及び外資系語学教育機関勤務を経て、1997年渡米。翌年より翻訳学習および翻訳業開始。2001年バベル翻訳大学院入学、2004年同大学院修士号取得。2020年武蔵野大学心理学(産業カウンセリング及びキャリア・コンサルティング)学士号取得。2004年より現在まで米国スタンフォード大学にてリサーチコーディネータ及び教授秘書として勤務。2011年より2018年までバベルにて出版翻訳、産業翻訳、リサーチ、監査業務に従事。主な訳書:Zen Wind (「叡智の風」 田坂広志著 2018年)The Power of Body Awareness (「身体意識を鍛える」高岡英夫著 2014年)The Golden Ear (「金色の耳」きっかわみき著 2013年)Happiness (「あなたにあえて世界一うれしい」徳尾裕久著 2012年)