【特別特集】新型コロナに教えられたこと – 命を大切に生きる

命を大切に生きる

クリステンセン 祥子(バベル翻訳専門職大学院修了生)

 私が住むバージニア州北部のワシントンD.C.郊外は、夏らしい季節を迎えました。外は毎年変わらぬ夏の光景が広がっていますが、今年は世情が随分違います。今年1月下旬にアメリカで新型コロナウイルスの初感染者が確認されてから早5か月。その間に「命」や「相互尊重」について、様々な学びや気付きがありました。本稿ではそのことについて綴りたいと思います。

命の尊さ、はかなさを思い知る

 ワシントンD.C.とその東西両隣に位置するメリーランド州およびバージニア州は、新型コロナ感染の甚大な被害を被った地域の一つです。この地域も日々の新規感染者数が減ったり増えたりと一進一退の状態が続いています。自分が住み慣れた地域にある日、最初の感染者が確認され、まもなく毎日、数百人単位で感染者が急増し、死者までも増えていくのを目の当たりにするのはまさしく恐怖そのものでした。命の尊さ、はかなさについて、私がこれほど容赦なく考えさせられたことは過去にはありません。

奪われた尊い命

 そのような中、私にとって別の視点から「命」について考えさせられる出来事がありました。今年5月25日にミネソタ州ミネアポリス市で起きた人種差別事件です。アメリカの警察にいまだ横行する黒人差別の実態をアメリカ全土、そして国際社会にも知らしめた事件でした。無抵抗の黒人男性の命を何とも思わない警察官の様子を収めた動画は、人々を驚愕させ、人種差別抗議デモへと駆り立てました。事件現場の警察官たちが周りの声に真摯に耳を傾けていたなら、死なずに済んだ尊い命でした。

コロナ・パンデミック中に生じた意味

 コロナ・パンデミック中にミネアポリスの人種差別事件が起きたことは、私には意味があるように思えてなりません。近年、アメリカでは、黒人というだけで警察官や人種差別主義者の市民から犯罪者ではないかと怪しまれ、無実の罪で命を奪われるという痛ましい事件が後を絶ちませんでした。そんな中、ミネアポリスの事件は起きました。アメリカ社会の相次ぐ黒人差別に業を煮やし、コロナ感染と隣り合わせの生活が長引く中、「人の命を粗末にする理不尽な扱いに対しては以前にも増して妥協を許さない」という思いを強くした人は、アメリカ内外を問わず多くいると思います。

 私はコロナ・パンデミックのみならず、人種差別事件を通しても命の尊さについて多くのことを学ばされましたので、次に差別と命について考えてみたいと思います。

差別や見下しは、他者を犠牲にして自信を得る行為

 国によって差別の事情が異なることを前置きした上で、「差別」や「見下し」の言い訳に使われるものを挙げてみると、人種以外にも、出身国、出身地域、民族的背景、社会階級、家庭環境、宗教、年齢、家系、性的背景、身体的特徴、病気等、枚挙にいとまがありません。また更に細分化して、コミュニティや人間関係を見てみると、そこでも些細な違いが差別や見下しに転じる場合があります。心理学では他者を差別し、見下す原因の一つは自分に自信がないこととされています。また、自分に自信がない人は他者を差別し、見下すとき、そうすることで自信を得るとされています。

命を守るためには、声を上げて意思表示をする

 世の中から差別や見下しを一つでも減らし、一人でも多くの命を守るためには、「断固として声を上げること(意思表示をすること)」がいかに大切か、改めて痛感しています。自分のために、または誰かのために声を上げることは、差別や見下し等の不当な行為がエスカレートするのを阻止する転機となり得ます。「命を守る」ということは生死にかかわる問題のみに当てはまるわけではなく、精神的に苦しんでいる人の苦しみを和らげたり、取り除くこともその人の命を守ることなのだと再認識するに至りました。コロナ感染で尋常でない数の尊い命が失われ続けている今だからこそ、残された人の命を大切にしなければならないと強く感じています。もちろん、不当な扱いに対して声を上げるとしても、身の安全が第一です。ペパーダイン大学の教育心理学大学院はそのウェブサイト上で、差別や見下しを行う本人に直接、異議を唱えるのが難しい状況下での対処法をいくつか紹介しています*。

人として普遍的な価値観を持つ

 相互尊重の社会、つまり互いの命を尊重する社会を作り出すためには、一人一人が時折立ち止まっては「人間性に関わる常識を吟味する」ことが必要不可欠だと感じています。一つのコミュニティ内で良しとされている価値観が外でも受け入れられるとは限りません。また、特定の時代には正しいと考えられていた常識が後世の目には滑稽に見えるというケースは歴史上、数多く存在します。このことは周知の事実ですが、多忙な日々を送る中、忘れがちなことです。自分が属するコミュニティ内の常識だけで判断せず、時を経ても「人として普遍的な価値観」を模索しながら考え、判断していくことの重要性を今一度噛みしめています。

勇気を持って意思表示する人が増える

 ここ1か月ほどの間に、「私たちは違いはあっても同じ人間に変わりはなく、誰にも他者を優劣付ける権利はない」という不変の真実を再認識した人は多いことでしょう。「自分の価値は他の誰でもない、自分自身が決める」と。今後も、不当な扱いに対し、勇気を持って声を上げる人が増えていくと思います。

心の豊かさを求めて、より意味ある選択をする

 コロナ感染で途方もない数の尊い命が亡くなり、人生はいつ突然終わりを迎えるかわからないという現実に愕然とした人は多いはずです。「これからはより幸せに、より充実した人生を送りたい」と、自分の価値観を軌道修正した人もいると思います。そして真の幸せ、真の豊かさ(心の豊かさ)を求めて、より意味のある人生の選択をしていく人は今後ますます増えていくのではないでしょうか。

相互尊重の社会を願って

 また、それぞれのコミュニティ内では結束力が強まったのではないかと思います。例えば、近所の人どうしが助け合ったり、離れ離れに住む家族どうしがより頻繁に連絡し合うようになったり。あるいは、しばらく会っていない友人らと無事を確認し合った人もいるでしょう。人種差別抗議デモの参加者たちはお互いに初対面という人たちも多かったはずなのに、強い結束力で繋がりました。これは、人々が命の大切さを再確認したからに他なりません。しかし、自分が属するコミュニティ外の人たちに対しても心を開き、歩み寄る努力をしなければ、真の意味で相互尊重の社会を実現するのは難しいと言えます。全ての人がお互いの表面的、内面的な違いなど意に介さず、心を開き合い、尊重し合う社会がいつの日か訪れることを願って止みません。

* Pepperdine University Graduate School of Education and Psychology. (2019, July 9). Confronting Prejudice: How to Protect Yourself and Help Others.

【プロフィール】
クリステンセン 祥子
元日本公立中学校英語教諭。1995年に夫の転勤に伴いリオデジャネイロに移り、現地の大人に日本語を数年教える。その後アメリカに移住し、国内外を転々とする。2014年にバベル翻訳大学院で法律翻訳修士号を取得後は、日本語の研究論文や資料を英語で要約する仕事に携わる。また、2014年に成功哲学、経営学の面白さに目覚めてからは、国際リーダーシップ、組織行動学、成功について独学およびコース等で学ぶ。現在、目標達成のメカニズムについてペンシルバニア大学のオンライン・プログラムで勉強中。趣味は絵画制作。近年は愉快なペン画で家族を楽しませることが多い。