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発行日:2004年11月5日
★ 原作タイトル:The Fairy Feller's Master Stroke
★ 著者:マーク・チャドボーン
★ 序文: ニ―ル・ゲイマン(英国漫画家・小説家)
★ 翻訳者:木村京子
★ 定価:1,470円(税込み)
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英国ヴィクトリア朝画壇の異才で、「狂気の画家」として知られるリチャード・ダッド(1817-1886)の絵に触発されて書かれた、幻想小説。
著者マーク・チャドボーンは、すでに処女短編"Six Dead Boys In A Very Dark World"(未訳)で英国幻想文学協会のBest
New Author を受賞した作家。彼の作品は今回が本邦初訳

窓の向こう、排気ガスが気だるげに煙る中、月光に照らされた森は顔だらけだ。その中の一つ、互いに絡まりあう葉や枝によって周囲の曖昧模糊とした塊の中に描き出された、植物細工のグリーン・マンを、私は密かに見張っている。相手はどこ吹く風という様子でこちらを見ている。
傍らにはハリエニシダの茂みに蹲った茶色い顔の小男がいる。揺ら揺らと漂う女の姿が真珠色に輝く月光のように儚く、麗しく、気高く、木々の間を出たり入ったりしている。私は再び息を呑む。
何が殺人に駆り立てるのか?醜怪なエゴ、道徳律からの非人間的な逸脱。何が自殺に駆り立てるのか?不注意。ボールから目を逸らすこと。そんな単純で取るに足らないこと。(中略)
幸せな家庭に育つのも一苦労だ。何も「面白い」恐るべき性格的欠陥がないので退屈な奴だと思われてしまう。情緒不安とか神経症とか、問題家庭で育った子供だけを苛むような。そういう子供たちは喜んでそれらの悩みを幸福と交換するに違いないし、そんな問題を面白がって語るのは、ディナー・パーティの会話や昼のテレビ番組のネタにしようという連中だけだ。それでも、自分だけのとっておき「面白い」心理的傷痕があればと夢見ることがある。あまり致命的でないものを。ちょっとした深みと魅力のもとになる「軽い」神経症。ある日曜のランチで精神的ショックを受けたことが原因で豆を見ると体が震える、とか。
しかし私にはそんなものさえなかった。だから『フェアリー・フェラーの神技』の特異かつ奇妙な縁は神の賜物だ。
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出会いは一九六七年の夏だった。テムズ河岸は暑さで茹っていた―子供時代の夏の日は何故かいつも今より明るく、暑く、「黄色い」―しかしテートの中には教会のような涼しさと、救いを求める者たちの囁きによって時折破られるだけの敬虔な静けさがあった。友人達は空き地でボロ缶を蹴っているか、ジョニー・セブンで遊んでいる頃だろう。私だってたまにはそんなこともした。しかし、能力に恵まれたおかげで、仲間達にとっては耐えられないほど退屈であっても、私にとっては胸躍るような楽しみも他にたくさん持っていた。もう一つの世界。美術館だけでなく、音楽リサイタル、古代エジプトの亡霊達が静々と歩き回る博物館、ギリシャの寺院のような光と空気に満ちた図書館など。母は私の能力を早い時期に認めた。恐らくまだ赤ん坊の頃、友人の子らはベビー・ベッドの中からぼうっと眺めるだけなのに、盛んにお喋りする我が子を見た時に。
私は神童だった。
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